寛文9年(1670年)の創立です。明治以前は東京都江東区亀戸の真言宗普門院の主管でしたが明治元年に亀戸香取神社の奉仕となりました。同神社境内の一隅にある末社として歩んできましたが、社殿建て替えに伴い昭和63年4月に独立した神社としてあきる野の地にご遷座いたしました。以来、崇敬神社として地元のみならず、広く遠方からもご参拝いただいています。
一の鳥居
神世七代の第六代めの神で、面足尊(おもだるのみこと)は男神、惶根尊(かしこねのみこと)は女神です。男女二柱対偶の神として自然界の陰と陽、相互補完的な力の作用や自然の生成、産霊の力などを神格化したものとされています。他説においては対偶神相互の賛美とする説や、国土が整ったことを意味する説もあります。また、結婚して国を生む伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が神世七代の第七代めであり、その一代前であることから、結婚直前の見目麗しく活力に満ちた男女の神々として、心身ともに整った健康・美容のご利益があると言われています。なお『古事記』では淤母陀琉神(おもだるのかみ)、阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)と記されています。
韋駄天尊神(いだてんそんしん)は、古代インド神話の神が仏教に入り、護法神や伽藍の守護神となりました。南方増長天八将の一官で、四天王に属する三十二将の主位に置かれ、甲冑に身を固め走ること疾風の如くと称され、仏法衆生交通の守護神として霊験あらたかなりと篤き信仰を集めています。
伝説によれば韋駄天尊神は、釈迦が涅槃のとき、仏舎利を奪い去った疾足鬼を追い、瞬時に奪還したとあります。それ故に、足の速い様を「韋駄天の如し」といい、その走り方を韋駄天走りと称するに至ったと云われています。その説話から健脚健康のご利益があるとされ、特に腰部から足先にかけての疾患等がその信心により癒されるとされています。また寺院の厨房にて食事の神として祀られていたり、元々のインドでは子供の病魔を退散させる神として信仰されています。
韋駄天尊立像
いだてんくん
昭和63年に稲足神社を建立遷座するにあたり、その遷座地としてあきる野の地を寄進された方が野村専太郎ご夫妻です。生来神仏信仰心極めて篤きご夫妻でありましたが、とりわけ韋駄天尊を信仰しており、昭和30年9月現在の韋駄天尊の板碑を新宿角筈にお祀りし生涯崇敬していました。
元の板碑は江戸中期の作とされ、上州館林の城主秋元但馬守礼朝公の守護神且つ戦神として当初浅草に祭祀され、明治四年秋同公の下屋敷であった新宿角筈に遷座されましたが、戦争により焼失破壊されてしまいました。その後、昭和30年現在の板碑が復元され、新宿新都心の再開発が始まり高層ビルが建ち並ぶ東京都庁の隣、新宿ワシントンホテル敷地内に昭和61年堂宇を建立し、ご遷座され現在に至っています。
昭和63年の稲足神社ご遷座にともない、また境内地をご寄進いただいた野村 ご夫妻のたっての願いもあり、日本芸術院会員雨宮淳氏に依頼して、この板碑を青銅像に造替し、健脚健康の神、韋駄天尊神として分神合祀されました。
韋駄天尊神殿